大判例

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東京高等裁判所 昭和26年(く)26号 決定

抗告人 鈴木義雄

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告申立理由の要旨は、「抗告人は抗告人に対する詐欺被告事件につき昭和二十六年三月二十六日静岡地方裁判所浜松支部に勾留の理由の開示を請求したところ、同支部は、「右被告事件についてはすでに抗告人の請求により同年二月二十一日に勾留の理由を開示したのであつて、本件請求はその後重ねてなされたものであるところ、そもそも開示すべき勾留の理由は勾留当時のそれと現在までそれが継続していることであるが、本件のごとき再度の請求が許されるためには、最初の勾留理由開示後事情の変更があつたことを前提とするといわねばならない。而して抗告人の同裁判所宛同年三月十四日附上申書によるも右事情の変更ありと認める足にるものがないから、本件勾留理由開示の請求は刑事訴訟法第八十六条後段の規定の趣旨に則りこれを却下すべきである。」との理由で同年三月二十八日附をもつて右請求を却下する旨の決定をした。しかしながら右決定理由中に最初の勾留理由開示後事情の変更がなければ再度の開示請求は許されないとあるのは必ずしも絶対的なものとは考えられない。もともと勾留理由開示の手続は、現実の拘禁に対する救済手段であり、且つ憲法で保障するところのものである。抗告人は後記のとおり自己に対する勾留の理由のないことを信ずるものであつて、その点において本件請求は当然許さるべきものであるのみならず、日時の経過は事情を変更させるに十分であると考える。以下その点につき詳述すれば、抗告人に対する本件勾留は刑事訴訟法第九十六条第一項後段の事由により保釈を取り消されたことによるものであるが、抗告人は家庭の事情による別居のため制限住居を離退し、公判出廷の義務を怠つたにすぎないのであつて、なんら逃亡の意思もなく逃亡の行為もなかつたものである。人間の生命は家庭生活をいかに構成するかということにその大半を然焼させるものであつて抗告人の当時の家庭事情は他を顧みる暇なく、ただ自己の情操と思観を安定させることのみを希い、自然本能と衝動との相剋に戦いつつあるとき、公判出廷の義務を怠り制限住居を離退したことを逃亡と断定すべきであるかどうか、抗告人は疑わざるをえない。また、右の家庭の事情は無限に続くものでなく、現に解消したことは、証人の言によつて立証されているのである。

次に、罪証隠滅の点についていえば抗告人は三年余にわたる保釈出所中に事件関係者と会つたこともなくその他罪証を隠滅するというようなことなく今日に及んでいるのであつて、抗告人が罪証を隠滅する疑があるということはなんらの根拠がない。かくのごとく、抗告人に対する勾留は、なんら適法な理由がないものであるから、憲法第三十四条後段に違反するものであると同時に、抗告人はすでに長期にわたつて拘禁されているもので、憲法第三十八条第二項にいわゆる不当に長い拘禁に該当するから、同条の精神にかんがみ、刑事訴訟法第八十七条によつて取り消さるべきものである。かくてこの拘禁の日時の経過もまた事情の変更に該当する。加うるに、抗告人は過去一箇月余持続して微熱を発し、食慾も不振で、医師の診断によれば肺及び肋膜の疑があるといい、拘禁の現状では病人に必要な栄養の摂取及び治療は不可能である。また、拘禁によつて社会的面を断絶される結果、援護者を失い、会社及び関係者との関係をも放棄しなければならぬ状態に当面している。以上述べたとおり、原決定は憲法第三十四条後段及び刑事訴訟法第八十六条の解釈を誤り憲法第三十二条、第三十四条、第三十八条第二項、第十三条、刑事訴訟法第八十二条、第八十七条、第九十一条第一項に違反するものであるから、これが取消を求めるため、本件抗告に及んだ次第である。」というのである。

よつて抗告人に対する詐欺被告事件の訴訟記録を調査するのに、右事件は昭和二十一年十月五日に公訴の提記があつたものであるから、刑事訴訟法施行法第二条により右の事件については旧刑事訴訟法及び日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の応急的措置に関する法律(以下「応急措置法」という。)によるべきものであり、従つて本件で問題となつている勾留の理由の開示も応急措置法第六条第二項の規定によるものといわなければならない。ところで、右応急措置法第六条第二項所定のいわゆる勾留の理由の開示は、被告人(又は被疑者)がいかなる理由によつて勾留されたかを開示するものであるから、同一の勾留においては一回の開示があれば足りるものであつて、その後において再度その開示の請求があつても、裁判所(又は裁判官)としてはこれに応ずべきものでないと解するのを相当とする。いま本件につき抗告人に対する前記詐欺被告事件の訴訟記録に徴すると、抗告人は昭和二十一年九月二十六日に右事件につき勾留され、翌昭和二十二年四月十九日に保釈を許されて釈放されたが、昭和二十五年一月十九日附保釈取消決定に基き昭和二十六年二月七日再び身柄を拘束されたところ、同月二十日に静岡地方裁判所浜松支部に対し勾留理由の開示を申し立てたので、同支部は同月二十一日の公判期日に右申立によりその理由を開示したことが明らかである。しからば、これと同一の勾留につきさらに同年三月二十七日附をもつてなした抗告人の本件勾留理由開示の請求は、これを許すべきでないこと明白であつて、これを却下した原決定はその結論において至当であり、なんら所論のように憲法その他の法律に違背するところはないから、本件抗告はその理由がないものとして刑事訴訟法施行法第二条旧刑事訴訟法第四百六十六条第一項によりこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長判事 大塚今比古 判事 早野儀三郎 判事 中野次雄)

抗告申立理由

私は詐欺被告事件に付いての勾留理由開示請求の却下決定に付いて抗告左之通り申立ます。

却下理由は添附被告人宛謄本の通りであります。開示の請求は最初の勾留理由開示後事情の変更があつた事を前提とすると解していますがこれは必らずしも絶対的なものと考えることは出来ないと存じます。

もともと理由開示の手続は現実の拘禁に対する救済手段であり、かつ、憲法で保証する処のものであると存ずるのであります。

然も、日時の経過は事情を変更させ得るに十分であると存じます。而して却下理由は被告人の請求を斥ける理由としては不十分であり違法であると存じます。然も勾留理由の不適法については再上申及び、又後述の通りであります。ですから、このことに於ても当然是正さるべきであると存じます。右勾留理由に対して是正なき場合当然開示の妥当性を被告人は持ち得るものと存じます。然も勾留の理由は逃亡、罪証の隠滅の虞あると認められるからと致していますが右理由に対して被告人はその依つて来る根拠を疑うものであります。かくの如き、必要かつ正当なる理由を以つて開示の請求をなす場合、訴訟法上許さるることと存じます。

尚かつ刑事訴訟法八六条後段の規定の趣旨に則り、之を却下すべきものと思料し主文の通り決定するとありますが、然乍ら右条文及び憲法三十四条後段の解釈の誤と存じます。尚ここに於て、被告人は日時の経過に依る拘禁理由及び当初よりする勾留理由の不適法を併せて申立ます。被告人がこの度勾留される事になつた原因は、刑事訴訟法九六条一項後段の適用を受けたことと存ずるのであります。

然乍ら勾留理由の逃亡とは、理由、実体形成の如何によらず附することが出来る名称であるや、被告人は疑わざるを得んのであります。同法九十六条一項は種々の条件を附している事自体を思考しても妥当性を欠くものと存じます。このことに付いては被告人は上申書で申し及ぶ通り、警察署照会返書の通り家庭の事情に依る別居、制限住所の離退であり、かつ公判出廷の義務を怠つた事であつて、何等逃亡の意志も行為も持合せないものであります。

人間の生命は家庭生活を如何に構成するかと謂うことに、その大半を燃焼させるのであると存じます。かくの如き家庭面に於ける、人生の重大事に及ぶ、被告人の家庭事情は、当時他を還り視る暇もありません。唯、自己の情操と思観を安定させる事のみを希い、自然本能と衝動との相剋に戦いつつあるとき、被告人が公判出廷の義務と制限住所を離退怠つたことが逃亡と断定すべきですか、一方的に断定を許さるべきですか、被告人は疑わざるを得んのであります。

又右の如き、被告人の家庭の事情もその終結に依つて解消さるることであり、無限に続くものでなく現に解消したことは証人の言によつて立証されているのであります。然も罪証湮滅とは、被告人の了解に苦しむ理由であると存じます。何是ならば被告人は三年余に至る保釈出所中も、事件関係者に逢うこともなく、罪証の湮滅を図つたこともなく、本日に及んでいます。然も事実面より視て疑いを生ぜしめる何等の根拠もない被告人にかくの如き形式的理由を附することが妥当であるや、被告人は疑わざるを得んのであります。

右の通り被告人の経験事実よりする勾留理由に対する意見を申及びますとき訴訟法的安全性は勿論妥当性をも欠くものと存じます。然もその勾留理由は現在不適法であつて、勿論妥当性をも欠くのでありますが、憲法三十四条後段、拘禁に付いては正当の理由あることを要すると特にいうことに於て理由が正当でないときは、憲法に違反するものと存じますと同時に刑事訴訟法八十七条違反になることとも存じます。同様勾留理由開示請求却下決定も憲法三十四条後段その理由を告げることは、憲法の要求する処であつて、理由の如何を問うのでないと存ずるのであります。要求があればその理由は直に本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示さることを要するとさるるものと存じます。又理由開示の手続は現実の拘禁に対する救済手段であると存じます。故に被告人は開示手続を申請し、拘禁よりする救済を願わんと存じたものです。然も被告人は一年余前に、当裁判所よりする収監状の出ている事自体に依り、許可あるも保釈出所出来ず、不当に長くなつたときに該当さるる状態にあるのであります。憲法三十八条二項の不当に長く抑留又は拘禁とは、勾留の理由又は必要が消滅しなくても、不当に長く拘禁して置くことは、許されないと解すべきものと存じます。勿論この観念は、一種の価値概念である以上、自由の任意性に関連して、必要的保釈の拡張と同様の機能の発揮を願うことが出来るのではないかと存じます。ここに於ても被告人の現実の拘禁と日時の経過は事情を変更させるに充分であると存じます。加えて被告人は自己の健康の維持と生命の保証に関してかつ、社会に於ける生活生存の必要に当面する種々の状態、

一、被告人の健康は過去一ケ月余微熱を持続、食慾不振正常なる状態を逸しつつあり、懲仮医の診断に依るところ肺及び肋膜の疑である。被告人拘禁の現状では病人の要求する栄養及び治療は不能である。

一、被告人の社会的経済的関連を断絶された場合、只今は援護者がある又、会社及び関係者に対し、関係を抛棄せなければならない状態を醸した場合、必然的に長い拘禁は被告人の対外的な面に影響を及ぼすと存ずるのであります。現に被告人が当面して来ていることであります。この被告人の不利益排除及び健康の維持、生命の保持を希い度く、理由開示の手続の趣旨である救済を求め、勾留理由の開示を申請致しましたので御座いますでありますから却下決定は各面に及ぼし憲法三十四条、三十二条、十三条の違反であると存じます。と同時に刑事訴訟法八十六条解釈の誤と存ずるのであります。

よつて被告人は勾留理由開示請求却下決定及び勾留理由の不適法、不備について刑事訴訟法八十七条、八十二条、九十一条一項及び憲法三十四条、三十二条、三十八条二項、十三条違反であると存じまして被告人は抗告申立理由を右の通り申及びます。

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